人間のすべての苦しみの源の中で、「本来なら私たちの管轄ではまったくないことを掌握しようとすること」は、間違いなくトップスリーに入る。私たちは成功を自分の聡明さと才知に帰することに執着し、またいつも不運が降りかかったときには大声で問い質し、後ずさりする。「なぜよりによって私なんだ?」
このとき、天空の巨輪が十番目のカードの中でゴロゴロと音を立てて回り始める。《運命の輪》は冷たい第三者観察者のように、あなたの怒り、涙、あるいは自己満足を無視する。カードの画面では、アヌビス(ジャッカル)が輪とともに上昇し、破壊を代表するテュポン(蛇)が輪とともに下方へ滑り落ちていく。四隅の聖獣は表情を粛然とさせ、静かにこの決して止むことのない昇降交替を見守っている。
運命の輪の出現は、往々にして出来事がすでに個人が干渉できる臨界点を越えたことを意味する。これは個人の意志をはるかに超えた巨大な潮流なのだ。
あなたがまさに春風を得々とするハイライトの瞬間にあるとき、このカードは警鐘である。傲慢になるな。すべての波の頂点は必ず波の谷底へと滑り落ちる。あなたが現在持っているすべての幸運と資源は一時的な借用にすぎない。そしてあなたが泥沼の深くにあり、四方に敵が囲むとき、その出現は最も心を安らげる慰めである。怖がるな。輪はまだ回っている。これもまた過ぎ去る(This too shall pass)。
人々は掌握できない変数に直面したとき、最も極度に内なる消耗をもたらす心理的反応を起こしやすい。天を怨み人を尤めたり、あるいは必死にあらゆる裏技で衰退の勢いを逆転させようとしたりする(これは往々にしてこのカードのいわゆる「逆境/逆位置」状態として現れる)。私たちが輪が急転直下するときに、なおも必死に輪の縁の一点にしがみつこうとすれば、結果はただ巨大な遠心力によって無情に振り飛ばされ、粉々に砕け散るだけだ。
変化に抵抗することは、世界で最も惨烈な無駄骨折りである。
では、運命の壮大な輪転に直面して、私たちはただ両手を広げて天に運命を任せるしかないのか?そうではない。
あの回転する輪を観察すればわかる。輪の縁の速度は最も速く、揺れも最も激しい。しかし輪軸の最も中心の部位、あの「円心」と呼ばれる場所は、外側がどんなに渦巻き回転しても、そこは永遠に絶対的な静止状態にある。
これが、私たちが浩蕩たる運命に対応する究極の心法を暗示している。あなたは環境の変遷、業界の交代、人心の集散を止めることはできない。しかしあなたは荒波が逆巻く中で、自分の核心をあの揺るぎない原点に退却させることができる——あなたが深く信じて疑わない価値観、あなたがこの世界で確立した存在意義。
次に運命の輪がリーディングテーブルで回るとき、もうあのプロジェクトの勝ち負けにこだわるより、目を閉じてこの無重力感を体験してみよう。
「もし今この瞬間の局面がとっくに私の左右できるものではないと認めるなら、執念を捨てて流れに従うことを、いったい何を恐れているのか?」
すべては周期である。これを見破ったなら、あなたは輪盤とともに転がるサイコロから、輪盤そのものの傍観者へと変わるのだ。